楽に生きるヒント 雑記

「その育て方や指導はアウト!放任と放置、見守りと過干渉の違い!」

「その育て方や指導はアウト!放任と放置、見守りと過干渉の違い!」

こんにちは、飲むおじです。

今回は最近あった驚愕の出来事についてお話しさせていただきたいと思います。

そしてこの出来事を通して感じた事や

人を育てる際に必要な事は何か、などについて自分なりの考えを述べさせていただければと思います。

スーパーで大暴れする子供たち

時間は夜の9時頃でした。

仕事を終えて帰りに近くのスーパーへ夕ご飯を買いに行くと。

小学校低~高学年くらいの兄妹(おそらく長女、次男、三男?)と思われる子供たちが店内にいました。

その三人

  • 長女は買い物カートに足を乗せて店内を滑走
  • 次男は鬼ごっこなのか店内を全力疾走
  • 三男は売り物のフランスパンをライトセーバーのように振り回し次男を追いかける

なんという地獄絵図

周囲の客はドン引きです

でも「君子危うきに近寄らず」でしょうか、誰一人として注意しようとはしません。

自分もそれを遠めに見ていたのですが、だんだんと興味が湧いてきまして

非常にゲスではありますが「これは親の顔が見てみたい・・・!」こんな思いが

自分の買い物をしながら観察を開始です。

子供たちは変わらずハイテンションで店内で大暴れ

自分「あ、あの人が親かな?」「いや見た目的にはあっちの人かも・・・?」

かなり失礼な事を考えている自分ですが、なかなか親の姿が出てきません。一体どこにいるのかと。

そのまま10分ほど経過

見かねたレジのおばさんが声をかけて子供たちをレジに誘導

いよいよ親が来るか?と思って観察していたら

なんと長女と思われる子が財布を出してお会計を開始

その後は三人で店の外へ出ていきました。

そう、実は最初から親はいなかったんですね。

「これはもしかして放置子というやつか・・・?」

驚きの体験でした。

季節はもう冬、夜の9時過ぎという事もあり外は真っ暗

田舎のスーパーです、ちょっと離れれば街灯もロクにありません。

ちゃんと無事に帰れたのかが心配でしたね。

怒らない親

子供が公共の場で騒いだり、物を壊したりしても何も反応しない親って結構いますよね。

知り合いの夫婦なんですが「怒らない指導方針」との事で

子供が騒ごうが、癇癪を起こして物を投げようが「怒らない」

「すごいね~、困ったね~」とかずっと言ってましたね。

本人達は「良い子育て」をしているつもりなんですよね。

これは無しだな・・・というのが自分の感想でしたが

まあ他人の人生、他人の課題ですので

結局何も言いませんでしたけど。

「放任」と「放置」の違いとは?

この言葉の意味は結構範囲が広いかと思いますが

一番の違いは「その相手を信用しているか?関心を持っているか?」ではないかと思います。

必要なのは放任=相手を信用して、自主性に任せる事

辞書によると、「成り行きに任せ、干渉せずに放っておく事」とされています。

ただしここには条件があり

大人になるまでに(社会から間違いが許されている時期、モラトリアムが終わるまでに)、生きていくうえで必要な躾やルールを守る姿勢が身についている事

が必要です。

最低限の事を教えた上で

「後はアナタの判断で自由に生きていいんですよ。」

「私は貴方を信じています、いつでも見守っていますし、必要であれば親として手を貸す事もあるかもしれません。」

というのが放任だと思います。

「いつでも見守っている」というのがとても重要かと思います。ちゃんと関心を持ち、「見守り」続ける姿勢です。

子供の感覚はとても敏感

自分が親に関心を持ってもらえているか、きちんと感じ取ることができます。

子供が安心して遊べるように

親はしっかりと「気を配る」必要があるかと思いますね。

「放任主義」を謳いルールも教えず、子供が何をしてもスマホをいじっているような人は言葉の意味を理解していないという事です。

「見守り」はとても難しい

放任をする際には「見守る」事が重要としましたが

「見守る」とはどういう事なのでしょうか?

辞書によると「無事であるように注意して見る」となっています。

「手を出す」や「口を出す」とは書いていないんですね。

子供の考えや主体性を大事にできず、ついつい口や手を出してしまう事はないでしょうか?

その瞬間「見守り」ではなくなっているんですね

さらに厳しい言い方になりますが、「子供のため」ではなく「自分のため」の行動になっているんです。

子供の成長ではなく、自分の言う事を聞かせたいというエゴ

子供にではなく自分への関心がムクムクと大きくなっているのかもしれませんね。

過干渉は子供を潰す

放任の条件として、「干渉をしない」というのがありました。

過度の干渉をしている親は「放任」ができていないという事になります。

例えば頑張ってご飯を食べようとしている子供に「服が汚れるから!」と言って先取りして食べさせたりするのは過干渉と言えるでしょう。

服が汚れたら、子供の生命に危険が及ぶのでしょうか?社会で絶対に許されないようなルール違反でしょうか?

そこには「子供を信用していない」「自分の為というエゴ」がはっきりと存在しています。

過干渉は子供の自主性を摘む行為です。

自己肯定感が低くなる事も多く、他人の顔色ばかり窺って自由に生きられない人もたくさん見受けられます。

実際に苦労した自分の経験

正直に言うと、自分もそういう環境で育った部分があります。

毒親、とまでは言いませんが抑圧と干渉の強い親の元で育ちました。

親は教師で、家にあまり居る事も無く、夜中まで働いていたのを覚えています。

その反動もあったのか、一緒にいる時間はとにかく干渉してきました。

かと思えば親が多忙すぎて家に帰ってこれないため

学校が終わったら近所の家で夕飯を食べさせてもらっていた時期もあったりと

干渉と放置のスペシャルコンボの中で育ちました。

あれもダメこれもダメ、行きたくない習い事にも行かされた事があります(すぐ辞めましたが)。

そのせいとは言いませんが大人になって就職してからも自分に中々自信が持てず、人間関係で過去に仕事を変えた経験もあります。

自分に自信が無いというのはとても大変な問題です。

何をするにも他人を気にしたり、空しい気分が消えないんですね。

全部親のせい!とは言いません。

親なりにきっと悩みながら、自分と関わってきてくれたんだとは思っています。

でも正直、色々キツかったなあと思う時もありますね。

(周囲に気を使いすぎてしまう人について以前書かせてもらっています。もし良かったらこちらもお読みいただけると嬉しいです。)
~「気を使う」は人生の無駄!楽に生きるため本当にやるべき事~

頭のいい親、悪い親

何かの本の受け売りだったかと思いますが

「頭の悪い親は、自分の子供がずっと自分より下だと思っている」

「頭の良い親は、自分の子供が早く自分を越えて欲しいと思っている」

という話を読んだことがあります。

さて、自分はいったいどちらでしょうか?

「子供の為を思って・・・」という親は多いですが

あなたは自分の子供をどうしたいんでしょうか?

信用していますか?実は見下したりしていませんか?

考えてみるといいかもしれませんね。

部下や新人への指導も同じ

これは職場などでも当てはまる事だと思っています。

新人や部下の指導をする事もある自分ですが、ついつい口出しが多くなる時はこれを思い出し、自戒しているつもりです。

むしろ新人さんはこんなポンコツな自分を早く越えて、もっと楽をさせてくれたら嬉しいなあ・・・なんて思っています。

今回はここまでとします。

最近あった出来事から、人を育てる事についての私見を書かせていただきました。

何かのお役に立てれば幸いです。

それでは、最後までお読みいただきましてありがとうございました。

-楽に生きるヒント, 雑記

© 2024 Nomusika Blog Powered by AFFINGER5