雑記

責任のない自由はただの「自分勝手」

責任のない自由はただの「自分勝手」

こんにちは、飲むおじです。

自分勝手に振舞う人、結構周りにいたりしませんか?

周囲からは生暖かい目で見られているのに気づけない人。

そういう人に限って「僕は自由に生きているんです!好きな事で生きていく!ヒャッハー!」

みたいな脳みそがお花畑の発言を真顔でしていたりします。

自由とは

「自由」という言葉は「自らに由る(よる)とする」と読めます。

「由る」は「拠り所とする、従う」と言った意味です。

つまりざっくり言うと

「自由とは自分を根拠にする事」

言い換えれば、「自分で選択する事」となるかと思います。

自分で決められる事が多ければ多いほど人は自由に近づける

また逆に様々なしがらみやルールに縛られて、自己決定が無いままに過ごしていればそれは不自由と言えるかと思います。

「それみろ、やっぱり自分は全てを自分で決めてるからOK!仕事も、人生も!好きな事で生きていく!ヒャッハー!!」

・・・いやいやちょっと待ってください。

何をするのも勝手ですが、その結果起こった事について向き合っていますか?

自分で何もかも決める事と、結果に対して責任を取らない事はイコールではありません。

ここを見落としている人が多いんじゃないかと思ってます。

アイルランドの文学者であるジョージ・バーナード・ショーは自由についてこう語っています。

「Liberty means responsibilty. That is why most men dread it.(自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる)」

こういう事なのかなと。

自由と自分勝手の違いは?

その人の生き方が自由であるか自分勝手であるか

どうやって判断すればいいのでしょうか。

土地と家のような関係

自由を家、責任を土地と例えてみます。

面積も広く、間取りも派手な家があったとしましょう。

もしこれが自分の土地が十分に広く、その上に建てられたのであれば何も問題はありません。

ただし自分の土地をはみ出して、お隣の土地にまで家が建っていたらどうでしょうか?

違法建築ですよね、訴えられてペナルティを課されるでしょう。

狭い土地に大きな家は建てられません。

広い家を建てられるだけの土地があって初めて立派な家は建てられる

「自由」は「責任」という土地(土台)が無ければ成立しないんです。

無理やり家を建ててしまう人がもしもいたら、それはただの「自分勝手」という事です。

自由に生きるために何をするべきか

結論から言うと

「責任を取る力が無い人間は、本当の意味で自由にはなれない。」

「自分の事を自分で決められる事、そしてその結果に責任を負える人間こそ自由である。」

こういう事かと。

責任から逃げたいだけなのに「自由」を語る人間はちょっと違うと思いますね。

目の前の責任から逃げない生き方

会社や家庭、学校

様々な環境の下で、「自分で何も決められず、ただやらされている生き方」をしている人は多いかと思います。

それはきっと「不自由な生き方」です。

でもそこから逃げたいからと自由を求めても、それはただの自分勝手。

「これでもか!」ってくらいに自分の勤めに取り組んで責任を果たしていき、少しずつ自分の裁量権を増やしていく事が本当の自由への道です。

筋トレと一緒、自分の責任力を鍛えていかないとならないのではないかと思います。

・・・一応誤解のないように言っておきますが

「不自由な環境でとにかく我慢し続けろ」と言っている訳ではありませんよ!

制限だらけの環境でなんとか責任を果たそうと無理していると、一歩間違えば社畜に落ちちゃうかもしれません。

環境を変えるのも立派な作戦です。

こんな事を書いていますが自分も毎日の業務に追われ

時には辞めたくなることもあります。

全てが自分で決められるわけではない環境ですので、あまり自由ではないのかなと。

だからこそ、自由になるために「責任の取れる人間」を目指して頑張ってます。

少しづつ実績を積んで、職場の信用をアップさせ、自分の裁量権を増やしたいと思っていますね。

今回はここまでにします。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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